もっと・たがみまち

湯小屋で生まれ育ち学校を卒業後田上役場に奉職し昭和51年から家業の旅館かつみ荘に従事し平成17年4月まで女将として旅館経営に携わっていました。

今から6年前(平成11年末)旅館経営には女性の豊かな感性が不可欠と考え旦那衆や大女将さんの強力な後押しで若女将会を旗揚げしました。

名称を湯田上温泉の昔の呼び名にちなみ{ゆごや会}と命名して4人の若女将が頑張っています。

湯田上温泉街昔から湯小屋と呼ばれ江戸末期から旅籠として栄え近郷、近在の農家の人達が自炊をしながら湯治を楽しんでいました。

又、花街としても芸子さんがいっぱい居て賑やかだったようです。湯小屋の歴史を若い女将達に語り伝えたいと考えております。

私のルーツは今から160年も前から湯小屋で旅籠を営んでいたとのことです。

 

湯小屋では戦時中、疎開児童を受け入れていました。

旅館の仲居が寮母となって東京(江戸川区や世田谷区)の子供達を世話をしていました。当然ながら我家の母も寮母として親と離れて淋しい思いをしている子供達を慰めながら必死にお世話したそうです。

昭和20年の3月、6年生は中学校への準備で東京へ帰ってしまいました。運悪く帰った大半の子供達はその後の爆撃で亡くなったそうです。

その時、病気(盲腸)で羽生田の坂内病院に入院され難を逃れた少年がいました。当然、母親と一歳の弟は亡くなってしまいました。

病気のお陰で一命を拾い今も元気で福島県いわき市に住んでいる75歳の秋山さんを先日友人と一緒に訪ねてきました。本人曰く、、俺だけ生きて申し訳ない、今ある命は田上の人達から頂いたので皆さんのことは忘れませんと喜んでいました。

久し振りの再会で旧交を温めたことを同行できなかった母に報告しました。秋山さん以外にもお元気な方がおられクラス会に来る度に必ず母の顔を見に来てくれます。

 

戦争は悲しい出来事です。あの時東京に帰さなければ良かったと母は今だに悔やんでいます。田上役場の玄関に大きな柱時計は疎開した人たちの記念品です、悲惨な戦争がないように皆さんで祈りましょう。

 

田上に疎開した方、その時の様子をお知らせください。


2008年3月 三寒四温 

今年は立春を過ぎてから厳しい冬を体験しました。

雪解けの地面から福寿草を発見しました。モノトーンの冬景色から春色へ季節は変ります。温かくなったり、寒くなったりの毎日ですね。先日、都会に住んでいる同年生から、何十年ぶりに(こびりにやきめしを食べる)言葉を聞いたらすごく、懐かしかったとメールが来ました。

こびりとは食事と食事の間に小腹がすいた時に、おやつを食べると言う意味です。

我々のやきめしとは、塩おにぎりか、味噌おにぎりを言います。ただ握っただけ。

まして海苔なんか巻くことはありません、チャーハンを焼き飯と呼んだとき正直、ビックリしました。

もうすぐ、おひな祭りです。

昔は旧暦でしたので4月3日でした。

ひし形モチを持って(やまいさん)に行きました。

山の奥には雪が残っていましたが子供にとってこの{山いさん}は春の訪れを感じる 一大行事でした、それと、3月15日の(だんごまき)です、東竜寺さん、円福院さん、安寿様(華蔵 円)へ学校が終わると駆けつけて、団子をいっぱい拾ったものです。それを布の袋に入れてぶら下げているとヘビに噛まれないと言われていました。

昔は山で遊んでいましたのでヘビが恐くて、、、。私は大嫌いでした。

雪が多い冬の防寒具にわらで編んだ(ふかぐつ)の温かい感触を思い出しました。

アノラック、オーバーなどは湯小屋では誰も着ていませんでした。配給のマント、婦人はかくまき、子供はござぼしを着ていたようです。ゴムの長靴はすぐ切れて水が入り冷たくて泣いた記憶があります。

みんな50年以上前の話ですが我々にとっては貴重な体験です。

子供や孫に自分の子供の頃の様子を語り続けたいと思っています。

2008年2月7日 立春を過ぎたとは言え、2月に入り寒い毎日です。

厳しい余寒が続き暖冬の予報はどこかへ行ってしまいました。天候が不安定で、思いがけない都心や山に雪が降っています。

幸い、湯田上温泉は積雪もなく穏やかな気候ですので温泉三昧は如何でしょうか?

 

私の小学生(昭和25~30年頃)時代は暖房器具もなく外で雪遊びをして、寒いと言って帰るとばば(曾祖母)に(余寒だがんに当たり前らこてや)、と叱られました。隠れて火鉢に手を温めた記憶があります。

寒さと雪で今ごろの時期はお客様も少なかったような気がします。自炊のお客さんは七輪で料理を作っていましたし、暖房はもっぱら火鉢だけでしたから寒くなると湯治をしていたのかもしれません。

早く春が来ると良いですね。ふきのとうを見つけました。早速、てんぷら、蕗味噌にして食べたら香りがよくまさしく春の味を満喫しました。

湯田上は山菜の宝庫です、シーズンになりましたら是非お出かけください。

2008年1月23日 ふるさと田上会の新年会に出席してきました。

若女将と一緒に花笠音頭を踊りヒヤヒヤ、ドキドキの連続でした。若木の中に老木が交じり恥ずかしい場面もありましたが新春のお笑いとしてご勘弁願います。

 

懐かしい同年生が6人も出席しており二次会は大いに盛り上がりました。65歳を忘れ童心に返り昔話に花を咲かせました。

今頃の体育時間は雪合戦や凍み渡りをして遊んだこと、旧暦の正月だったので1月31日に年取りをして鮭の塩引き「我々は田上弁でショウビキと言っていた」を食べたこと、などいろいろな事が思い出され楽しい一時でした。

 

当然ながら湯小屋の話も出ました。湯元館から下の須佐さん(忠助さん)まで自家製のソリで滑って遊んだこと、確か坂は5つあった気がします。坂の真ん中はぴかぴかに凍り歩く人は両端を行き来していました。雪の湯小屋は子供の天国だったようです。
娯楽施設のない私達にとって雪はまさしく遊び道具だったのでしょうか?

今は雪が降らないので可愛そうな気もしますが。

2008年1月9日 あけましておめでとうございます。

健やかな初春を迎えお喜び申し上げます。7日に湯田上温泉協同組合の新年会が盛大に行われました。 ゆごや会のOBとして私も出席させてもらいました。

ホテル小柳の若女将が風邪でダウンした為、ピンチヒッターで踊り{花笠おんど}を披露するハフニングがあり久し振りに汗を流しました。

 

雪のないお正月と油断していましたら31日、元旦に除雪車が出動し新年早々雪と格闘しながらお正月を迎えました。

 

元日の朝、湯小屋の薬師堂をお参りし懐かしい昔を思い出しました。薬師様の広場は湯小屋の子供達の遊び場でした。

下校するとカバンを玄関に投げ捨て薬師様に集まったものです。男も女も一緒になってボール投げ、鬼ごっこ、かくれんぼ、まりつき、走り競争など、暗くなるまで遊び、楽しい楽しい毎日でした。広場は草が伸びる余裕もありませんでした。

元文3年に薬師の湯開湯に植えられた桜の木が大きくなってビックリしました。小さい枝にぶら下がり、逆上がりの練習したことが昨日のように思い出されます。湯小屋の子供にとって薬師様{我々は薬っさまと呼んでいた}は永遠のシンボルです。

お堂や石段が小さく感じるのは歳のせいでしょうか?

 

次回は湯小屋の雪遊びを紹介したいと思っています。